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KUSU KUSU(くすくす)は、主に1980年代末期から1990年代にかけて活躍していた日本の音楽バンド。 == 略歴 == *北海道から上京したメンバー(次郎、MU、まこと)を中心に1988年3月結成。結成当時、メンバーが10代でアイドル的要素も兼ね備えていた人気のバンドでもあった。南国風でワールドミュージック調の明るい音楽、独特のリズムを持ったダンスミュージックなどが基本的コンセプト。 *1988年6月2日、下北沢のライブハウス「屋根裏」にて初ライヴ。以後、歩行者天国、大学祭のライヴ、ニューロティカ、JAGATARAのオープニングアクトなどで活躍。徐々にファンが増えていった。 *1989年4月8日放送の『三宅裕司のいかすバンド天国』(イカ天)に出場(この時に自分たちに付けたキャッチフレーズが『光の国の子供(GA-KI)達』)、『オレンヂバナナ』を演奏し、在宅審査員賞とともにチャレンジャー賞も獲得。当時のイカ天キング、FLYING KIDSに挑み、フライングの浜崎を自信喪失させる健闘ぶりを発揮した。しかし、審査員の票は3対4でFLYING KIDSに軍配があがり、初代グランドイカ天キングの座を許した。 *しかし、このイカ天出場がきっかけとなって本格的に人気に火が点き、視聴者からのはがきの投票で順位を決めるイカ天内のコーナー『アマチュアバンドベスト10』では1989年4月29日から7月1日まで10週連続1位となる快挙。同年5月5日には初のワンマンライヴ、翌々日5月7日にはホコ天ライヴに1000人を動員するほどの盛況振りとなった。この年の10月26日にはアルバム『光の国の子供達』を発売、インディーズからのリリースながらオリコンのアルバムランキングで12位という高記録となった。 *1990年にポリスターと契約、同年7月11日にシングル『世界が一番幸せな日』と同名タイトルのアルバムを同時リリースし、メジャーデビュー。同年9月21日には『日本全国踊り巡りツアー』のファイナル『日本列島踊り締め』と題して、日本武道館でのライヴを果たしている。また同年末には、FM東京主催の『ライオンリスナーズグランプリ』でグランプリを獲得した。 *1991年4月25日、セカンドシングル『地球オーケストラ』が『らんま1/2 熱闘編』のオープニング曲に起用され、新たなファン層を拡げた。 *1994年に“冬眠”と称して活動を休止。最後のライヴは同年6月12日の日清パワーステーションだった。その後メンバーは個々に活動、次郎(川上次郎)とまこと(宮田誠)は『MUITO BONITO』を結成。SAYは元THE SHAMROCKの山森正之が結成したバンド『オレンジズ 』に加入(現在は「ROBIN」名義で活動中)。MUITO BONITOは1999年に解散し、次郎はソロ活動へ、まことは『Corcovado (コルコバード)』を結成(ここではボーカルとギターを担当)。 *2000年2月20日に“冬眠から目覚める”という形(“目覚めて寝ぼける”とも)で、一日限りの復活ライヴが下北沢のCLUB Queというライブハウスで行われた。また2001年6月12日にも同じく復活ライヴが同じCLUB Queで行われている。 *2009年11月15日、11月16日、下北沢の風知空知というライヴハウスにて、次郎(川上次郎) 、まこと(宮田誠)の二人でKUSUKUSU復活ライヴが行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「KUSU KUSU」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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